「近代日本画の巨人−竹内栖鳳展」を京都市左京区の岡崎公園内にある京都市美術館へ見に行った。
門柱に「京都美術館」の銘板がはめ込まれている。古の名称がそのまま残されている。京都市美術館は創立80周年を迎え、その記念展覧会が「竹内栖鳳展」だという。
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京都市美術館の正面玄関。80年の歴史を感じさせる重厚な造りだ。
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竹内栖鳳は幕末の京都に生まれ、13歳で絵を始め、17歳で四条派の幸野楳嶺に入門、四条派のみならず円山派や狩野派の画法も吸収。明治33年、36歳で欧州を7ヶ月旅し、西洋絵画に強い衝撃を受けて日本画の大胆な革新に取り組んでいく。その後名を成す多くの日本画家を育て上げた功績も大きい。明治以降の京都画壇は竹内栖鳳から始まったとも言える巨大な存在。昭和17年没。
「近代日本画の巨人 竹内栖鳳展」の入場券を買って入る。
禺画像] 西洋の旅から帰朝して描いた獅子図は、獅子(ライオン)を初めて動物園で見たため超リアルに、しかも生き生きと描き出されています。西洋画では描けない、日本画の技法を活かしきった、西洋画と従来の日本画を超越した生き物としての獅子(ライオン)を描ききっています。今に安住せず次々と新しい表現に挑戦していった栖鳳の姿がこの展覧会でよく分りました。
同じ館内の別室で同時開催されている「下絵を読み解く−竹内栖鳳の下絵と素描」の入場券を買って見学しました。
禺画像] こちらは画家の手の内を拝見できる展示です。竹内栖鳳が描いた掛け軸、襖絵、屏風絵には全て同じ大きさの下絵が存在しているのです。日本画に通じていない私には驚きでした。襖絵を描く前に小さい下絵を何度も繰り返し、最後に同じ大きさの襖を使って下絵を描いて最終確認をするのです。すべての作品に下絵が作られたようです。栖鳳の下絵は筆と墨で描かれているのですが、昭和の時代に入ると木炭も併用して描いています。
作品作りの元になる写生も大量の写生帳の形で残されています。努力の積み重ねが大作を生み出す栄養源になるんですね。写生も筆で描かれていたのが、昭和になると鉛筆も使われています。
両方の展示を見るのに4時間も使ってしまい、もう閉館時間が迫っていました。
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